久しぶりに会った知り合いに「最近調子どう?」と聞かれた時の最適解
友達に限らず、後輩、先輩、上司、部下、男女問わずとりあえず久しぶりにあった時にほぼ必ず言われるだろうこの言葉。
この言葉を言われた時に対する返事は、自分が火星のゴキブリを倒すためにモザイク・オーガン手術に挑戦したとかでもない限り基本的には、
「え、調子?うーん、まあまあだよ」
という感じであろう。
特に何も言うことがなかったらぶっちゃけそう言うしかない。
僕が答える時も「まあ」「普通」は絶対入っている。
こういった「なんて答えていいのかよくわからないが、あまりにもどうでもよすぎて普段特に考えもしない質問」というのは実際世に溢れていて、その質問の瞬間に限り確かな困惑をもって人類を惑わせてくるのだ。
本当にこのタイプの質問はかなりヤバい。ヤバタクスゼイアンだ。なぜなら調子とか言われてもそんなもの本人も分からないし、何を答えればいいのか全く見当もつかない。
特にあまり仲の良くない知り合い程度の人間に言われると、何かちゃんとした答えを答えなくては向こうからの評価が下がってしまう気がするのだ。低評価である。
まずこの質問、「最近の調子」を聞いてきてるということは、質問される前のある程度の一定期間内の調子を聞いてきているのだ。まずこの時点で難しい。難問以外の何物でもない。
なぜなら調子の良さなどそれこそ日によって違うではないか。
レポートで徹夜してめちゃくちゃ眠いときもあれば、パチンコで大勝ちしていたり
合コンで飲みすぎて二日酔いで死んでる日もあれば、無事女の子をお持ち帰りしてセックスハッスルして翌日最高の朝チュンを聞く時もあるだろう。
一日一日で全然やってる事も違うし、それによって調子だって当然のように変わるはず。
だから本当に現実にあわせるなら、答えは複数ないとおかしいのだ。
「レポートで徹夜して眠い時とパチンコで勝ってよかった日と二日酔いしてゲロ吐いてかなり調子悪い日と合コンで女の子持ち帰って最高に調子よかった日がありました」
こう言うべき。これが真実なのである。真実の現実なのだ。
だがこんなプライベートをさらけ出すような答えを相手が望んでるはずもない。こんなこと言ってはダメなことくらいは流石の僕でも理解していた。
もっと簡潔でユーモアに溢れた答えが欲しいはずだ。
だったら何を言えばいいのか。
逆に質問を相手にそのまま聞いてみるのが良いのだろうか。
「最近調子どう?」
「え?んー、お前はどうなん?」
確かに大半の若者が言ってそうなセリフではあるが、しかしこれは結局は答えの保留であり最適解とは言えないだろう。
だったら今度は質問の意図を逆に聞いた場合はどうなるのだろうか?
「最近調子どう?」
「その前にまずあなたがそのような質問をしてきた理由を50文字以内で簡潔にまとめなさい」
「あなたに会うのは久々だが特に話す内容もないので興味はないが何となく会話を続けるために質問しました」
流石にこれは違うだろう。絶対に違う。今時現国の教師でも言わないような言葉を切り替えしにもっていく方もイラつくし、それに対して適切な回答をした方も普通に気持ち悪い上にイラつくであろう。こんな奴らとは二度とお近づきにはなりたくない。
ある意味で正直かつ正面から会話をしているのにも関わらずキモいといわれる。これが現代の現実である。人間嘘も使わなければ生きていけないのだ、それこそ会話もできないくらいに。
しかしこうやって考察しても本当に難しい質問であると驚愕を禁じ得ない。なんと難解で非常に奥の深いことか。あらゆる艱難辛苦を超えたとしてそれでもたどり着けない境地が、この質問には込められているのだ。
一見してシンプルではあるのだ。何気なくやりとりされる世間話の、その延長で聞かれるだけのなんてことのない言葉。いったい誰がこの質問のことを早慶の試験問題に匹敵するような難易度を誇っていると思うだろうか。
だからこそ誰もまともにこの質問に対して考えようとしない。
だが一度それをぶつけられた途端、人類は面白いように狼狽する。
なまじまともに答えようとすると余計に慌てて意味不明なことを口走ってしまうはずである。
「最近の調子?う~ん、あー……えええぇぇぇぇ~~~~っとぉ。あーーー、うん、最近ね最近。最近かあ……。うーー……………………昨日酔ってうんこもらs」
こうなったら人として終わりである。真の絶望があなたの体を包み込むであろう。
なら逆に男らしくスパって言い切ればいいのか。
「最近ですか!?えっとですね!!昨日うんk」
さっきより怖すぎる。一周回って純粋に「この人普段何してんの……」と疑問に思ってしまう事間違いない。
それに回答が早ければいいということでもない。何事もタイミングが大事なのだ。
つまりこの質問に対して回答するにあたって必要なスキルは、
・会話のペースを乱さず常に滑らかにタイミング良く発言し続けるための体力。
・相手に引かれないように最低限の常識や多少のユーモアを含ませるためのトーク力。
・いつこの質問がきても大丈夫なように身構え続ける精神力。
この三要素である。心技体すべてがそろっていなくては素人では対応する事すらできない、まさに仙人の領域といえるだろう。これほどの難度の高い技術が必要な場面が日頃から社会に散漫しているとなると、近い未来人類のコミュニケーション能力は異次元の領域に到達するであろう。
最近は若者のコミュニケーション能力の不足を訴える声も多々存在するが、この現状も鑑みるにそれは仕方のないことなのではないか。大人たちは経験豊富であるが若者たちはそうではない。仙人のスキルなど数年の努力でどうこうなるものではないのだ。仕方がないではないか。
当然僕もそこら辺の若者と同じように仙人ではないし、早慶の学生でもない。この難問に立ち向かおうにもそのための頭脳がないのだ。最適解を考察しようとしていたのにかえって自分にはその能力はないと言われてしまったようなものだ。これではどうしようもない。
だったらどうすればいいのか。ここまでくるともう自分の力ではどうにもならない。仙人ならぬこの身では正面からこの質問を打開することはできないのだ。
というわけで自分ではなく相手に打開してもらうしかない。それしかない。
自分ではわからない、ならできる相手にやってもらう。それだけのこと。
長々と書き続けてきたが、これが最適解だ。
相手ができなければこの問題は少なくとも個人同士の間ではうやむやになる。つまり引き分けだ。
ただこの勝負に自分の勝ちは存在しない。だからもう分からせるしかない。いかに相手にこの質問の難易度を理解させることができるか、質問してしまったことの愚かさを骨の髄まで分からせられるか。それがこの質問の最適解だ。
つまりこういうことである。
「最近調子どう?」
「……ふん、やれやれ。聞いてしまったな」
「え?」
「ふん。お前、今の言葉の意味。ちゃんと理解しているか?」
「え?」
「ふん。最近調子どう、などという抽象的すぎてどうとでも答えられる質問。お前の頭の程度も知れるというものだ」
「え?」
「ふん。自分の愚かさに気づいて呆然としているようだが、どうやらお互いの人としての『出来』について結果は出たようだな」
「え?」
「ふん。まだ事態が呑み込めていないようだが、しかし俺たちの戦いは決着した。お前がこの質問をしてきた時点でもうすでに戦いは終わっていたんだよ」
「え?」
「ふん。この質問をして来た時からすでに戦いは始まっているのさ。そして今終わった。引き分けさ、俺たちは引き分け。つまり対等ってことだ。これはもう仲良くなるしかねぇ。さあ親友よ、一緒にマックでも食いに行こうぜ」
「…………………………………………え?あ、うん」
ほら、めっちゃ仲良いい(白目)