満喫でアダルトサイトを開いた状態でドアを開けっぱなしにしてエロ漫画を読んでる勇者の話
この前漫画の新刊が発売され、読みたいものも何冊かあったので満喫に行った。僕は
読みたい漫画があったら基本的に満喫に行ったりブックオフで立ち読みする事がほとんどで、実際に漫画を本屋で購入することは最近ほとんどなくなってしまった。
その日もいつものように行きつけの満喫に入り、リクライニングシートでゆったりと漫画を読もうとしていた。
受付でカードを提出し部屋を指定してもらいドリンクバーでコーラを注いでから僕は自分の部屋に向かった。
その時である。僕は見てしまった、この世の勇者を。
アダルトサイトを開いた状態でドアを開けっぱなしにしてエロ漫画を読んでる勇者を。
自分の部屋に着いたその真向かいの部屋である。突然の衝撃に僕はしばらくその場から動くことができなかった。部屋の住人はおそらく20代半ばといった感じだったが、その
あまりに豪快な部屋の晒し方に畏敬の念を送らざるを得なかった。
あけすけ、なんていうレベルではない。満喫の個室などある意味自分の家よりプライベートの塊といっても過言ではない文字通りの秘密の部屋であろう。
エロ漫画やアダルトサイト、食べ終わったカップ麺。個室に入ってから数時間で築き上げた、己の城とでもいうべきプライベートフィールドをこうまで公共に公開している者の存在を、僕は無数の満喫経験の中で初めて認めた。
羞恥心というものはおそらく彼の中には存在していないのだ。
彼は勇者である。
いずれその神より図太いその精神性を持ってして、日本に変革をもたらす存在であることはもはや疑いようもないだろう。むしろこれより先の未来、彼の貢献なくして日本に進化の余地はないといってもいいかもしれない。これまでの歴史上やり方は違えど、日本に多大な影響を与えた偉人達は常人とは見えている世界も、周囲への捉え方も全く異なるのだから。
常人に頭がおかしいと思われる事こそが、勇者を勇者たらしめている。
彼の場合はその人類クラスの神経の太さが勇者の所以であろう。
これが常人ならこうはいかない。普通の価値観を持っている人間なら、アダルト系の漫画やサイトを見たりする以前にまず普通に戸締りをしっかりするし、食べ終わったものはきちんとゴミ箱に捨てるし、危機管理能力が高い人ならドアに鍵もかけるだろう。
そこから更にエロなどの人に見られたくないものを見ようとするなら、自ずと周囲への警戒心も上がっていくはずだ。戸締りがきちんとしてあるのはわかっているのについつい目を向けて確認してしまったり、エロサイトを見ているときに後ろの通路で人が通ったりすると「ビクッ!」ってなってしまう。
そういったパーソナルスペースに対する外界への警戒心が非常に高まるのが一般の反応であり、常識であろう。
そして彼は勇者であるがゆえにそのような常識など知らなかった。常識なんてのは所詮常人にしか当てはまらないルールであり、彼には適応されない。社会人がホームレスの世界のルールなど知りたくもないように、彼は自分が敷いたルールでのみ生きていくのみであり、それが正解なのだ。
そもそもそうでなかったらなんだというのか。彼は勇者でなかったらただの注意力の足りないうっかりさんではないか。人類クラスの神経の太さなどかけらも持ち合わせておらず、ただ戸締りをわすれて人知れずに恥をばらまいているだけの愚かな若者という風に見られてしまうではないか。
僕だったらその愚かさに気づいた瞬間、恥ずかしさで気絶してしまうだろう。自分がどんなジャンルのAVを見てて、どういう題名の漫画を読んでいるのか。気づく瞬間まで堂々と周囲に晒し続けていたのだ。ぶっちゃけ渋谷のハチ公前でイヤホンもつけずに一人でAVを鑑賞しているのとほぼ同じである。とても耐えられるものでない。普通に死ぬ。
それと同じことを彼がやったというのか。
まさかそんなはずがない。決してあるはずがない。彼は間違いなく勇者なのだ。
僕は見極めの確認をしたかったが、しかしできない理由が存在した。
僕は彼のことは何も知らない。たまたま向かいの個室になって勇者としてのスキルを遺憾なく発揮している彼を見かけた。現実的な関わりで言えばそれだけであり、そこからも僕が彼に何か干渉をしたということもない。
だが勇者たる彼はこの世の主人公と呼ぶにふさわしい存在であり、そんな彼からしたら僕の存在などハチ公前の渋谷交差点にいる雑踏の中の一人くらいどうでもいい存在だ。異世界風に言えば村人Aといったところか。いや、もはやAですらない。村人Nくらいだ。
僕ごとき羽毛のような存在価値しかない人間は彼の物語に出てくる登場人物としてはふさわしくないのだ。彼はこれから僕など及びもつかないほどに輝き続け、世界を照らしていく選ばれた存在なのだ。これで良いのだ。
そんな彼を一目とはいえ拝謁する事ができ、あまつさえこうして自分のブログに紹介できたというだけでも十分神に感謝するべき出来事であろう。今回はその事実を噛みしめ、この記事を終わらせようとおもう。
勇者を拝謁した一時間後。
僕がトイレに行くために個室を出た時、向かいの個室のドアは1ミリの隙間もなくピッチリと閉まっていた。