一見普通の言葉でも斬新な視点さえあれば誰でも名言を作る事ができる
たまにツイッターで「おお~~~~確かに」と思ってしまうようなめちゃくちゃバズっている発言があるだろう。
それを見てこう思った事がないだろうか。
俺らも頑張れば作れるはず。
著名な有名人の発言の場合なら理解できるが、ツイッターにおいては時たま天才かと思うような名言ツイートを有名人でも何でもない人が発言している。
今のネット社会における拡散性の発露のおかげともいえるが、こういうツイートを見る
と自分も作ってバズりたいと思う人は多いだろうと思う。
僕の中で小説家における名言の代名詞は西尾維新先生である。
『戯言シリーズ』『物語シリーズ』『掟上今日子の備忘録』等の作品の作者であるが、正直頭の中どうなってんだと思いたくなるような名言を連発しまくる方である。
はじめてこの人の作品を読んだときはかなりの衝撃を受けたものだ。人によっては痛い発言、中二病的とみなす人も存在するが、そもそもそんな名言を生み出し続ける脳内が謎で仕方がない。
だが僕はある時気づいた。西尾維新先生の常人では思いつきもしない表現で書かれている小説を「ふんふんふんふんふんふん」とヘドバンの如くうなずきながらこの世に存在する名言の真実に気づいた。
「あれ?これ言ってることは普通じゃね?」と、
「発言してるキャラクターのせいと、ちょっと視点を変えた事による斬新さが名言と言われているだけなのではないか」と。
もちろん誰も思いつかないから斬新と言われているのであって、この事実に思い至ったからってそうそう直ぐに名言など作れないが、だが仕組みや構造は少しわかった気がした。
ここで名言の概念のパターンを二つ紹介してみようと思う。
「戯言シリーズ」という小説の中の言葉でこんなのがある。
「君の意見は完全に間違っているという点に目をつむれば概ね正解だ」
……………。
ほおおおおおおおおおお、まあ、確かに、、、、。となるであろう。
よくこんなのおもいつくなあと驚きつつ、よくよく考えて確かにそりゃそうだと冷静に思ってしまうだろう。要するに必要なのは斬新さなのだ。
「物語シリーズ」にも有名な言葉がある。
「何でもは知らないわよ、知ってる事だけ」
この発言をしているのは羽川翼という死ぬ程優秀なJkなのだが、初期のころは口癖のように発言していた言葉である。しかしこれだって発言そのものはある意味当たり前のことである。斬新ですらない。だが彼女という強烈に優秀なキャラクターがいう場合に限っては途端に深みが違ってくる。要するに名言に合った人やキャラクターが発言して初めて名言として成り立っているパターンである。
この発言をそこら辺の凡人が発言していても恐らく誰も何も響かない。恐らく「だから?」となる。
このタイプの名言は凡人ではダメなのだ。「発言を名言に昇華させるに値する資格」が必要となる。
という風に他にも要素は色々あると思うが、今回はこの二つを挙げてみた。
ここで我々凡人が名言を作ろうとすると、前者を意識していかなくてはならない。後者は資格を持った人か、発言に関する経験をしたものしか許されない。
名言を作ると言ってもゼロからいきなりというのは難しいかもしれないので、すでに存在する言葉を利用してみようではないか。
分かりやすいのはことわざである。すでに一種の名言として広く日本に広まっている言葉であるので、ここからなら自分好みに組み替えて新たな名言とさせることができるのではないか。
ちなみに例として挙げると、
「時は金なり」ということわざに対して、
「つまり時間にはたかが金くらいの価値しかないということ。時は人なりというなら、もっと大切にしてもいい」
なんていうのもある。あ、僕が考えたわけではないですよ。
金の価値を低く見積もれる人間からしか出ない名言である。斬新ではあるが人を選ぶ名言であるので凡人からは出ないかもしれない。
「九死に一生を得る」
⇒「人間は九回死ぬ事はできない、だからその一生を一回目につかみ取れる奴が選ばれた人間と言える」
一個考えてみた。どうだろうか。意外と真理を突けた気がする。勝ち組と呼ばれる人たちは基本的に実力だけではなく、運も良かったが故の結果であるとも考えられる事から思いついた。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」
⇒「虎穴にしかいないという先入観がダメなのだ。世界は広い、自分の視野をもっと広げてみせろ」
相手の認識の低さをあげつらった言葉である。わざわざ危険を冒しに行く必要などどこにもない。世の中にはやり方というものが存在するのだから、人それぞれのやり方で虎子を得てみよう
「火のない所に煙は立たない」
⇒「火のない所に煙は立たないが、煙は火がなくても立つ」
逆説を利用した名言の一種である。一方には因果が存在しても逆方向からの視点で見た場合、同じような結論が出るとは限らない。「敵の敵は味方」という言葉も似たような理論である。
といった感じで意外とスラスラとそれっぽいことは作れることは判明した。要するに基盤とした言葉に対して逆の視点かつ、肯定と否定を逆にしてみれば簡単に作れることができるという事だ。
どうだ、
おわかりいただけただろうか。
分かったならば、
みんなでツイートだ。
課題は一人一万いいね。
期限は三日間。
さあ、
レディ、
おしまい。